2004年12月31日
位置と環境
犬山市街地北端を流れる木曽川沿いに、国宝犬山城が所在する。
眼下には豊かな木曽の流れと、城下町が広がる。犬山城から東方を望むと、正面に丘陵が迫ってくる。この丘陵頂部に東之宮古墳が存在する。現在、名鉄犬山線犬山遊園駅で下車し、瑞泉寺の横を東へ坂道を上がると、成田山名古屋別院の裏手に出る。その山頂に東之宮古墳があり、ここからは濃尾平野が一望できる。墳丘の南西には「東之宮社」が鎮座し、東之宮古墳の前方部裾部と重複している。そして、社殿の裏手が東之宮古墳の前方部となる。東之宮古墳が立地する標高145mの白山平山頂は、西方に木曽川から鵜沼方面を、南方は濃尾平野を望むことができる景勝地でもある。
東之宮古墳は、白山平丘陵の嶺線とは若干異なる方向に主軸を置き、前方部を木曽川対岸の鵜沼地区に向ける。墳丘の周りは、後方部南裾部から南東へ急激に大きく地形が傾斜し、較べて前方部全面は、緩やかに山麓へと傾斜する。一方で、北側と南側には比較的広い平坦面が存在し、北東隅には現在、白龍社が祀られている。なお前方部南に鎮座する「東之宮社」は、天文6年(1537年)犬山城主、織田与次郎信康が現在の城山にあった針綱神社を遷座したところから始まるようであり、慶長11年までその社地となっていた。
ここで、東之宮古墳が所在する白山平周辺の遺跡について概観してみると、そこには数多くの遺跡や古墳が展開していたことがわかる。しかしその多くは破壊され現存するものは数少ない。南山麓には古墳中期の代表的な大型前方後円墳である妙感寺古墳が所在し、その東にはかつて70mクラスの前方後円墳である甲塚古墳や、埴輪の出土が確認されている30mクラスの円墳であったと推測されている左近塚古墳などが存在していた。おおむね古墳中期前半期の古墳群を形成していたと考えられる。古墳後期になると、内田地区などに横穴式石室を伴う小規模な古墳が展開し、わずかに現存する古墳にその面影を留める。
ところで、木曽川の右岸である各務原市鵜沼地区には興味深い遺跡や古墳が存在する。まず一輪塚山古墳・衣裳塚古墳そして大型前方後円墳である坊の塚古墳などが、河岸段丘面に立地し、二宮神社古墳・鵜沼西町古墳などの後期の古墳も併存する。その下位面にあたる木曽川右岸の微高地には、鵜沼古市場遺跡群と呼ぶ 弥生後期から古墳時代にかけての大規模な集落遺跡が存在する。また犬山城の西対岸に存在する標高173mの伊木山周辺には、4世紀中頃の集落遺跡である八龍遺跡が調査されている。かつて木曽川が、この伊木山周辺から複数の河道となって犬山扇状地を南流していた時代においては、鵜沼地区の微高地形が、まさに中洲状の景観として復原できる。この場所に東之宮古墳の造営主体である、集落遺跡が存在していた可能性を想定しておきたい。
Posted by jiro at 2004年12月31日 08:57
コメント
鵜沼古市場遺跡群
真名越遺跡・古市場遺跡などを総称したい。
弥生から中世の散布地となっている。
現在は、大安寺川が中央を流れるが、本来の景観ではないであろう。
今後の調査成果を待つ。
Posted by: 古市場遺跡群 at 2005年01月08日 16:59