2005年01月03日
調査概要と問題点
1973年(昭和48)3月下旬に、後方部頂上において盗掘があり、その発見を受けて、4月に急遽盗掘で被害を受けた範囲の確認を目的とする発掘調査が実施された。盗掘範囲は3メートル前後の大きさで、盗掘穴周辺には赤色顔料が付着した側壁や白色粘土塊(被覆粘土)などが散乱していた。盗掘穴は天井石まで到達し、その北側壁を破壊して内部に進入したようであり、狭い盗掘空間の中には副葬品などは無く、すでに持ちさられたものと判断した。結果的に、盗掘穴は竪穴式石槨西壁付近であり、粘土床まで達していた。しかし側壁などが崩落し、盗掘者の東壁方面への進入を阻んだことは幸いであった。この盗掘発見時点での調査において、盗掘者が進入した場所は竪穴式石槨ではなく、副室状のものではないかという所見であった。この調査結果を受けて、その夏に本格的な発掘調査が行われた。犬山市教育委員会からの委託を受けた久永春男・杉崎章・宮川芳照・高木志朗らにより調査団が組織され、盗掘で被害を受けた、副室状の施設の評価を目的にした発掘調査が1973年8月から9月にかけて実施された。

調査は測量調査と併行して、後方部上の盗掘穴付近に限定して3×4mほどのトレンチを設定した。盗掘穴の精査および天井石までの盛土を除去すると、白色粘土が現れ、さらに東側に広がることが明らかとなった。この段階で盗掘者が到達した石室は副室状の施設ではなく、竪穴式石槨であることが判明した。さらに竪穴式石槨の東北隅には別の施設が存在することが確認できた。そこで調査区を東へ拡張し、被覆粘土の広がりをほぼ全体的に把握する状況となった。したがって墓壙などの確認手順が省かれたため、竪穴式石槨の構築方法などについては、今後の調査による確認が必要である。
以上、結果的には東之宮古墳の後方部に存在した竪穴式石槨、その内部だけの限定的な発掘調査になった。なお、墳丘及びその周辺部の調査もほとんど実施されていないため、規模や外表施設などの情報も欠損し、確定的な内容ではない。この点においても今後の調査が必要である。

Posted by jiro at 2005年01月03日 16:46
コメント
墳頂部が狭く、竪穴式石槨をあらためて
設置するだけの広さは認められない。
墓壙を後から掘込むことは難しいようだ。
構築墓壙的な視点が必要。
Posted by: 墓壙の確認 at 2005年01月08日 15:09